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・・基本有言不実行・戯言駄文録・・・
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04.25.16:01

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  • 04/25/16:01

12.30.20:47

クローバーの終末

クローバーの終末


 ある月の無い夜のこと。霧のように静かな焼け野原に僕は寝転がっていた。
「いい夢は見れたかな?」
 その声はあたかも遥か昔からそこにあったように、当たり前のように僕の上に降ってきた。
「故郷の村がまた焼かれたときいて来てみれば、まさか君なんかが転がっているとは思わなかったさ。気分はどうだい、我が幼馴染よ」
 めんどくさい語り口調に、人を小馬鹿にしたような癪に障る声色。懐かしい声だ。それでいて初めて巡り合ったように不思議な……これは心地よいと言えるのだろうか。
「俺が誰だかわかるかな?」
 頷こうとした。けれど、体は少しも動かなかった。
「随分長い夢を見ていたみたいじゃないか」
 夢。
 彼はアレを夢という。彼が言うのならばそうなのかもしれない。そう、夢といえば夢だった。僕はあの時確かに眠りについていた。
「醒めない眠りというやつだ。そういう意味では君はまだ起きていないことになる」
 声が出ないのも、この腕や脚が動かないのも、僕がまだ寝ているからだと彼は言う。しかし、もう夢は終わっている。ならば今、僕は何を見ているのだろう。
「なんにもないね。なんにもない。何もかも、失った気分はどうだい? 世界が変わったでしょう?」
 彼は楽しそうに笑っていた。そしてこう告げた。「君は死んだんだ」、と。
 彼はいつも言っていた。「死は変化である。死は時として人に幸福をもたらし、そして改革を促す。さらにいえば、変わらなければ、死など恐れる必要はない」、と。
「君はどの世界にいたってこの調子だ。愚直に夢想を追い求め、無慈悲な死に様を俺の前に晒し、どうということでもないように顔をあげる。君ほど死ぬのが嫌いな人間が、こんなにも死神に好かれているなんて皮肉なものじゃないか」
 彼は僕を知っている。きっと誰よりも理解している。だから僕は何も言わなかった。ただその言葉を聞き流し、閉じたままの瞳で空を見上げていた。
「君は野に咲くクローバー。誰からも見向きもされない緑色の雑草。何千何万世界の君を見てきたけれど、やはり揃いも揃って葉は三枚。四つ葉探しも楽ではないね」
 きっと自分でひきちぎっている。
「君は四つ葉になりたいと思う?」
 四つ葉のクローバー。幸福の象徴。そこには僕があの時思い描いた夢が詰まっているのだろう。笑い合える友人、信頼できる仲間、暖かい街並み、爽やかな潮風の香りと、憧れの背中。
 そうだ、僕には四つ葉なんかよりも、もっともっとなりたいものがある。そしてやりたいことがある。
「それも一つの終末かもね」
 死神は笑う。



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つづきはこちら

12.05.06:12

転んだ先で夢見た景色

マンホールの蓋っていうのは人が落ちないために丸いんじゃなかったのか。
 空の薄暗い六時ごろ。堅いマンホールにカツンと踏み出した左足が空を切り、突然足を踏み外した俺は、そのままマンホールの中に落ちていった。
 暗い、狭い、少し寒い。
どこまでもどこまでも落ちていく。一体いつまで落ちていればいいんだろう。ありえない深さの……穴? 深く深く、地獄の底まで続いていそうな真っ黒の空間に、俺はひたすら落ちていく。
 目を開けていても、自分が何処にいるのかわからない。声を出してみても、風をきる落下音で遮られる。手を伸ばしてみても、その先にはなにもない。
 俺は何をしているのだろう?
 ただただ吸い込まれるように、どこかに向かって落ちていく。その先にあるのは、たぶん……

『死ぬのかな、俺』



 気付くと俺は、公園のマンホールの上でしりもちをついていた。
 何がどうなったか解らなくて混乱したけれど、すぐに状況を思い出せるようになってきた。
 俺は確か、濡れたマンホールの蓋で足を滑らせ、転んでしまっていたんだ。思い出してしまえばなんだそれだけのことかと笑ってしまえる。そういえば頭が少し痛い。気付かないうちにぶつけていたのだろうか。それなら変に混乱した理由もわかる、のか。
 とにかく学校だ。
目的を思い出せた俺は、わずかに濡れた制服の染みを気にしながら、また歩きだした。


「おはよー!」
「え? あ、おぅ……おはよう」
 登校中、突然同級生らしい男子に声をかけられた。こんなに朝早くから人に会うのは珍しい。知り合いだっただろうか。あんな元気のいいヤツならそうそう忘れたりしないだろうけど、実際はそうでもないのか。
「なんだよ元気ねぇな。俺やることあっから、先行ってるな!」
 そういって謎の友人は凄い早さで校舎の方へ走っていった。朝から元気なヤツだなぁと感心させられる。

「よぉシンヅキ!」
 今度は下駄箱で呼び掛けられたと思ったら、おしゃれに制服を着崩した、奇妙な装いの男女が立っていた。
 誰だアンタたちは。
「なんだよ変な顔して……あ、そっか! シンヅキにはまだ言ってなかったよな。コイツ、二組のヤマグチ。オレたちちょっと前から付き合ってんだ」
「この人ともだち? えっと……ヤマトくんの彼女やってます、ヤマグチ カエデでーす!」
「カエデちゃんの彼氏でーす」
「……おう…………って、ヤマト?」
 そういわれて男子の方をよく見てみると、確かにクラスメイトのトガワ ヤマトだった。
「なんだよ、変な顔しやがって。オレに彼女できんのそんな信じらんねぇ? ま、無理もないけどな。オレも下積み時代は随分苦労したもんさ。シンヅキもがんばれよ!」
 なんだか妙に馴れ馴れしい。連休明けとはいえ、人はこんなに変わってしまえるものなのか。ヤマトと名乗る謎の友人は、そのままさっさと靴を履き替えて教室に向かっていった。ヤマグチと腕を組みながら。
 後ろ姿で思い出したけれど、そういえばあのヤマグチという女子とは、去年同じクラスだった気がする。もうちょっと大人しいヤツだと思っていたから気付かなかった。ということは、あいつらその時に会ったんだ。くっつくならもっと早くくっつけばよかったのに。

「シンヅキくん!」
 廊下を歩いていると、また誰かに声をかけられた。今度は女子だ。
「あの、おはようシンヅキくん。今来たとこだよね? 教室まで一緒に行こう?」
 とはいえ教室まではあと十数メートル。しかし断るのも変だから適当に頷いておく。
 声をかけてきたのは、同じクラスのナガセさん。グループ活動で何度か一緒になったことがあって、それ以来縁があるのかよくすれ違う。いつもうかない顔をしている印象だったけど、どうやら今日は機嫌がいいらしい。表情も明るくて、声もハッキリとしている。
「ど、どうしたの? そんなにジロジロ見て」
「いや、なんというか……イメチェンした?」
「そ、そうだよ! よくわかったね!」
「そりゃあ、これだけ違ってれば誰でも気付くよ」
「そんなに変わってる?」
「あぁ、なんか明るくなった、かな」
「……あ、ありがとう」
 正直に言ってしまったら、急にナガセさんは大人しくなってしまった。そうだな、この方が落ち着く。

 そのままクラスに入り、席につく。そしたらなぜかナガセさんが俺の隣の席に座った。
「あれ? ナガセさん、その席だっけ?」
「え! そ、そうだよシンヅキくん! この前の席替えからずっとそうじゃない。毎日ってほどじゃないけど、おしゃべりもしてるでしょ?」
「そういえばそうだったかな? ごめん、ちょっと寝ぼけてるみたいだ」
「もう、授業ちゃんと起きてなきゃだめだよ?」
 それからしばらく彼女の話に耳を傾けた。実家で迷子になっていた猫がやっと見つかったとか、なんかそういう話。

会話の最中にチャイムが鳴り、担任のハママツ先生が入ってくる。ハママツ先生は優しい先生だとおもうが、人がよすぎるせいで少し頼りない。この前も不良生徒に注意しようとして、逆に生徒に絡まれて他の教員に助けられていた。ハママツ先生はそういう先生。
「ほらほらみんな、ちゃんと席についてー! 出席とるから静かにしてなさいね!」
 よく通る大きな声が教室を一瞬で支配した。
「遅刻も欠席もなし? みんなすごいねぇ、うちのクラスはとっても優秀っと」
「せんせー、優秀な生徒に焼き肉おごってくださーい」
「それはだーめ!」
「ハハハハハ」
 なんだこれ。
 どっと沸き上がるバラエティー番組みたいな笑い声に悪寒を感じてしまう。なんだこれ。いつもこうだったかこのクラス。
 っていうか、欠席ゼロってどういうことだ? 確かこのクラスには登校拒否の生徒が一人、病気で入院中の生徒が一人いたはずだ。二人ともずっと学校なんて来ていない。それに、遅刻ゼロ? みんなもう揃ってるってことか? それにしては教室が静かだ。全然頭に入らない担任の朝の連絡も、私語なんてほとんどないままスムーズに終わってしまった。
 恐る恐る後ろの方を振り返ると……明らかに、景色が違う。
 皆がちゃんと席について、まっすぐにハママツ先生の方を見て笑っている。無関心そうなものもいるが、そんなやつらはこぞって教科書とノートを広げて勉強している。漫画を読んでるヤツも、イヤホンをしているヤツもいない。
 入ってくる時は気づかなかったけど、後ろの壁の掲示物が破れも無く綺麗に貼ってある。べこべこに凹んでいた掃除道具入れも、昔っからそうだったみたいにまっすぐ綺麗に立っていた。いつだってゴミわらけでぐちゃぐちゃしていたロッカー回りも、寂しいくらい掃除されている。
「シンヅキくん。もう先生来てるよ」
 ナガセさんに小声で言われて前を見ると、一限目のハセガワ先生がいつの間にか教壇に立っていた。
「それでは、授業を始めます」
 冷静な教師の一声。生徒は静かにそれに従う。
 きりーつ
 れい
 ちゃくせき


「昨日突然スカウトされちゃって、あたしモデルになるかも」
「次のテストで九十点とったら旅行連れてってもらうことになったんだ!」
「やべぇよ……ここだけの話だけどさ、おれ……ついに宝くじ当たっちゃったんだ」
 
なんだこれ。
どいつもこいつも夢みたいなことを当然のように言ってくる。まるで異世界にでもいるような違和感。そうだ、異物感。



 あれからまた妙なことにばかり巻き込まれて、帰る頃にはもう夕方になっていた。今日の俺はきっと疲れているんだ。さっさと寮に帰って寝てしまおう。
 本校舎から少し離れた寮への道。いつもは車だらけの交差点が、今日はとても大人しい。遅延していたビルの工事がいつの間にか再開していて、組んだ鉄の柱が長い格子の影を引く。犬の散歩をしていたお婆さんと、サラリーマンをしていそうな私服のおじさんが、道の角で世間話を楽しんでいる。対岸の道を同じ学校の運動部が掛け声と共に、綺麗に並んで走っていく。遠くから聴こえる吹奏楽は、いつもより音が大きくて鮮明だった。用水路の水が夕陽に照らされてキラキラ跳ねる。
 風に揺れる街路樹があまりに綺麗だったから、俺は試しに一息吸ってみた。なんとなく思っていた通り、いつもより空気が綺麗だ。まるで公園でも歩いているみたいな清々しさ。
 早く帰ろう。なんだかとても、寂しくなった。


 帰宅。寮部屋の鍵を開けると、部屋の中が薄暗くて安心する。この寮は基本的に二人一部屋だけど、俺は同室のヤツが問題起こして転校してから、ずっと一人で暮らしている。まさか自分の部屋にまで変なことは起こらないだろうな。疑り深く部屋の中を窺うけれど、とりあえずは大丈夫そう。
 中に入って、靴を脱いで。ベッドの二つ並んだ狭い部屋に帰っていく。カーテンが半開きだったせいで、部屋の中はまだそんなに暗くない。電気をつけようと壁の方を向いたら、ふと据え置き電話に留守電が入っていることに気づいた。
 誰からだろう?
 そう思って受話器を手に取ると、録音された音声が再生された。
『セキ、元気にしているか?』
 男の人の声が聞こえた。
『お前が遠くに行ってから随分経ったけれど、今年はどうだい? 里帰りでもしてみないか? 父さんも母さんも、お前に会いたくて仕方ないんだ。よかったらまた電話してくれ。今日はちょっとタイミングが悪かったかな。それじゃあ、元気でな』
 ツー ツーー ツーーー……
「誰だ?」
 知らない声、知らない番号、知らない話。
父さん? 母さん? 一体誰の残した音声だ?
 いたずら電話だとしても、どうして俺の名前を知っている? 友人からの、タチの悪いいたずら電話だろうか?
 驚くとか、怖いだとかそういうのはなかったけど、ただただ奇妙で、不可解だ。何故今日はこんなことばかり起こるのだろう。
 みんなみんな楽しそうで、何の疑問もなく贅沢して、いがみ合いもなくて、軽快で。ありもしない、夢みたいなことばかり口ずさんで。
 もう一度世界を見渡したくなって、窓ガラス越しに外の景色を眺めてみる。茜色の空はとても綺麗だった。部屋の中からじゃ、それくらいしかよく見えない。
 じっと雲の流れを見てぼんやりしていると、暗くなったガラスの中に、誰かの顔が映っていた。
 その人はなんだか満ち足りた表情で、何かに憧れるように、まっすぐとした目でどこかを見ていた。
誰だろう? 
思わずそう思ってしまったけれど、そんなことは言わなくてもわかる。この部屋には、自分しかいない。
 やがてその人は、フッと小さく笑って。教えてくれた
「これが俺の夢なんだ」



 気付くと俺は、公園のマンホールの上でしりもちをついていた。
 何がどうなったか解らなくて混乱したけれど、すぐに状況を思い出せるようになってきた。
 俺は確か、濡れたマンホールの蓋で足を滑らせ、転んでしまっていたんだ。思い出してしまえばなんだそれだけのことかと笑ってしまえる。そういえば頭が少し痛い。気付かないうちにぶつけていたのだろうか。それなら変に混乱した理由もわかる。
 とにかく帰ろう。
 目的を思い出せた俺は、わずかに濡れた制服の染みを気にしながら、また歩きだした。

 遠くの空を、カラスがうるさく飛んでいく。もうすぐ夜がやってくる。

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12.05.05:58

水曜日の酒宴



水曜日の酒宴

「中に入る前に、すべての扉に気を配っておけ。振り返って注意しておけ。敵が中のどの席に座っているか知れないから。」

 百戦錬磨の宴会マニアを豪語する我が偉大なる父は、会場に出向く僕に色々なことを教えてくれた。いざ入室しようとした矢先、その碌でもない父の箴言が否応なく頭に浮かんできたのだ。思わずキョロキョロと周囲を見回してしまった僕は、襖の数を一つ二つと数えてしまった。

「宴会にやって来る人には、水とナプキンと招待が必要だ。できれば、奥ゆかしい、と評判を得て、ふたたび歓迎されるように。」

 宴会が始まりしばらく経つと、なるほど確かにその通りだと思うようになった。むやみやたら他人に絡むもの、おだて文句に必死なもの、接待に骨をすり潰すもの、そんな混沌とした光景の中、恭しく会話に相槌を入れ、上品に笑いかける彼女の姿は実に心地よい。

「遠くへ旅する人には知恵がいる。家ではなにも苦労がいらぬ。愚者が賢者と席を同じくすれば、物笑いの種になる。」

 賢者とはこれ程までに尊い存在であったか。インドアで引きこもりの僕が、あの高見に行きつくには、あとどれくらい宴会に通えばよいのだろう。

「注意深い客は、食事に呼ばれたら沈黙を守る。人の話に耳を傾け、眼であたりに気を配る。このように、賢明に人は誰でも、あたりに注意を払う。」

 僕はどうやら注意深い客ではなかったらしい。じっと目前の賢人を眺めていたら、ニヤニヤ笑いすました先輩に肩を叩かれた。
「大層な贈り物を人にしなくとも良い。ささやかなもので良い評判を得ることも多い。パン半塊と酒杯半分で、私は友を得たことがある。」
 そう言って先輩は僕の前に巨大なジョッキを差し出した。
「人の称賛と好意を得るものは幸せだ。」

「他人の心の中に見つける知恵は頼りにならぬ。」

 飛び出したるは盛大なる歓声。僕は重たいジョッキを片手に固唾を飲んだ。
 
「もって出かけるのに、すぐれた分別にまさる荷物はない。麦酒の飲みすぎより悪い糧食を選ぶな。」

「がんばってー!」
 賢人は笑顔で僕に期待の眼差しを送る。

「人の子にとって麦酒は、そう言われるほど良いものではない。たくさん飲めば、それだけ性根を失うものだから。」



 それからのことは、あまり覚えていない。でろでろに我を失って帰宅した惨めな僕に、玄関口で仁王立ちしていた父がよこした箴言が、今でもなかなか忘れられなかった。

「宴会場を飛び回るのは、忘却の青鷺といって、人の心の分別を盗むものだ。わしも母さんの家で、この鳥の翼にがんじがらめにされたことがある。」

そうやって生まれたのが僕なんだとか。

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12.05.05:56

脱獄宣言

「つーかきいたぁ? ミホ彼氏と別れたって!」
 真昼の教室。クラスメイトの甲高い声が、セミの音みたいに鬱陶しく頭に響いた。
「そー、もうマジさいあくだっつうの!」
「ミホかわいそー! そんな奴さっさと忘れちゃおう!」
「そうそう! 今日とかどう? ガッコ終わったらマック行こうよ!」
 あの人達の会話はいつも耳に響く。男子の会話なら多少うるさくても無視できるけど、女子って本当にかしましい。購買を買いに教室を出て行った友達は、まだ数分は帰ってこないだろう。いつも真面目に列の後ろに並ぶもんだから時間がかかるんだ。どうせ誰も順番なんて守ってないんだから、適当に割り込んでしまえばいいのに。それが彼女のいいところだと言われたことがある。でも、私にはお人好しというより、何も考えていないだけの様な気がする。彼女はどうして
「ごめんっ。今日はダメなのー!」
 考え事で気を逸らしていたのに、急に女子たちの会話が続いてきた。ミホの声だけが、他の女子とは違っていた。そして、いつもと違う。それは、うるさいくらい聴いていた、いつものミホの声ではなかった。
「マジぃ? 最近付き合いわるくネ?」
「ミホぉ、悩みがあったら言ってくれていんだよ?」
「そーそー、あたしら友達じゃん?」
「――――」
「―――」
「ただいまぁ!」
 気付けば目の前に、香織と山口さんが据わっていた。
「何ぼーっとしてたの?」
 購買で買ったアイスティーの紙パックにストローをさしながら、香織は気さくにほほ笑んだ。
「別に……。」
 私はそれだけ言って、何も言葉を返さなかった。



 今日の授業は少し早めに終わった。
 香織は部活で、今日も一緒に変えれない。せっかく授業が終わったのだから、他のクラスの子を待っているのも損をした気がする。何もすることはないけれど、さっさと家に帰ってしまおう。
 そう思ってせかせかと学校の自転車置き場にやってきた。
「……。」
私は心の中で、(あーぁ)と思わずつぶやいた。自転車置き場に押し詰めになっていた自転車が、見るも無残に倒れまくっていた。ドミノの要領だろう。どうせ誰かが強引にねじ込むか引き出すかして失敗したんだ。この悲惨な光景を生み出したくせに、どうやら犯人は何もせずに逃げ出したようだ。
そりゃあ逃げるさ。自転車のドミノ倒しなんてそりゃもう日常茶判事さ。そんなよくあることにイチイチ対応するのも馬鹿らしい。そもそも倒れるまでぎゅうぎゅうにする大衆が悪いのだ。被害者だって自転車が倒れてるくらいじゃそうそう怒らない。じゃあ、何もしなくていいよね。そういう考え。
私は自分のクラスのスペースに入れた自転車を、自転車の川の中から取り出した。取り出すついでに、上に乗っていた自転車を起しあげる。周りにその自転車を置く場所がなかったから、その横の自転車を起した。そうやっていると、「せっかくだから全部起こしてしまおう」なんていう考えが浮かぶ。全部はめんどうだ。でも、クラスの分だけなら……。
「綾子ちゃん!」
 突然声がきこえた。顔を上げると、少し離れた所に、ミホが立っていた。
 見られた? 私はなんとなく気まずくなって、倒れていた他人の自転車から手を離した。
 ミホはそんな私の様子になど何の関心もないようで、こちらの返事もないうちに言葉をつづけた。
「一緒に帰ろ!」



 拒否するのも面倒だったから、私はミホの誘いを断らなかった。しかし、不愉快だった。この娘との会話は疲れるのだ。
「昨日チエがね……あ、知ってる? チエって五組の子なんだけど、それで、その子がね、授業サボって遊んでたんだって!」
「チエって、川本さん? 知ってるよ。一年の時に同じクラスだった。」
「そー!そのチエがね、何してたと思う?」
「タバコでも吸ってた?」
「コンビニ前で友達と一緒にだべってたの! それで苦情言われたらしくってね、さっき授業終わったら職員室来いって言われてた!」
「そうなんだ。」
「そーなのー、可哀そう!」
「サボるならもっとコソコソやればいいのに。」
「だよねー。苦情言う人もマジうざい。」
 この女は私の話を聞かないな? 再三で確認しながら、こっそりと嫌な顔をしてみる。しかしミホはそんな態度には気付かない。私に対する興味が全く感じられない。話し相手がいればいいんだ。誰でもいいんだ。そう思うと腹が立ってきた。イライラはさっきからしていたけれど、とうとう何か言ってやろうというところまで来てしまった。
「そういえば、美穂さ。今日昼に彼氏と別れたって言ってたよね。」
 何かくだらない会話を続けようとしていたミホの口が止まった。会話を急に遮られたからだろうか。そうでもない? ミホが引いていた自転車のタイヤも止まっていた。
でもそれは一瞬。
「や、やだー、聞いてたの?」
「あれだけ大声で話してるとね。結構教室静かだったじゃん?」
「うん、別れちゃったの。本当は誰にも話す気なかったのにね、アイツがチクったのかな。」
「話す気なかったの?」
「だって、あの人達に話すとめんどくさいんだもん。」
 君でもそんなこと思うのか。私はちょっとミホを見直してみた。何も考えていない小娘だと思っていたけれど、ちゃんと女子だったようだ。
「彼氏の写メ見せろとか、男子と一緒に歩いてたでしょとか、もう嫌。付き合ってられない。」
「そうだよね、美穂、数年前まであんな子達とは全然話してなかったもんね。」
「高校来てからだよ。友達間違えたかな? 今更あのグループから抜けても面倒だし。話し合わせるのも大変。」
「誘い断ってたね。私と一緒に帰るのはいいの?」
「綾子はいい! 最近話してなかったし、一人だったし、せっかくだからさ。嫌だった?」
「別に。私も帰るだけだったし。」
「そっかぁ。綾子はどっかで遊んだりとか、あんまりしないの?」
「あんまり。家も遠いから。」
「小学校の頃は、よく一緒に帰ったよね!」
「そうだね。」
「…………。」
 突然、ミホの言葉が途切れた。どうしたのかとここで初めて横を見ると、ミホは下唇を引き上げた、露骨に嫌そうな顔をしていた。私の会話のそっけなさに腹でも立ったのだろうか。つまらなかった? そりゃそうだ。
 私が見ていることに気付くと、ミホは「あ、ごめん!」と声をあげる。
「考え事、してた!」
 考え事? ミホが?
「何かあったの?」
 興味が湧いた。
「うん、あのね……ミホ、変わったよね。」
 そう言ってミホは俯いた。長い茶髪の髪が横顔にかかって、表情がよくわからなくなる。私は見るのをやめて、また正面を向いて、自転車を引くのに集中した。
「うん……変わったね。髪染めてるし。それ、校則違反だよね。」
「こっちの方が可愛いって言われたの。」
「そうでもないけどな。」
「ケータイも変えたの。新しいヤツ。ピンクで、たくさんデコったよ。みんなカワイイって言ってくれた。」
 彼女の胸ポケットに重く引っかかっている携帯電話に目をやる。邪魔としか思えない量のきらびやかストラップ。手の平程もある大きなマスコットまで付けている。
「スカートも切っちゃった。お父さんにはしたないって怒られたけどね、お母さんは、最近の女の子はみんなこうだからいいんだよって。」
 ミホのお母さん。確かに人の好さそうな人だった。何度か家に遊びに行ったことがあったし、その時にオレンジジュースを出してくれたので、なんとなく覚えている。
「喋り方も、なんか変になっちゃったでしょ? うつっちゃったのかな?」
「今は少し落ち着いてるよ?」
「そう? ヨカッタ。」
「嫌なの?」
「イヤ。」
 泣き出しそうな可愛らしい声で、ミホは弱音を吐いた。
「ミホこんなんじゃないもん。やだよ、あの子達に合わせてるみたい。この前メイクしないでガッコいったらね、『まじウケル』って笑われちゃった。ムカついたけど、ミホ、何もできなかった。」
「縁切っちゃえばいいのに。」
「無理だよ。クラスメイトだし。メアドとかみんな知ってる。」
「住所は?」
「家は教えてないよ。でも、きっとおっかけてくる。前にそういうことあったもん。」
「なにそれ、ヤクザみたいだね。」
「お母さんにこれ以上迷惑かけたくない。」
「じゃあ、学年上がるまで我慢するしかないね。」
「やだよ、そんなの。もう付き合ってられない。」
「今日まで我慢できてたじゃん。」
「嫌だ。彼氏バカにされたもん。もう許しちゃダメな気がする。」
「彼氏? もしかして、まだ好きだった?」
「うん。」
「そっか。」
 昼にずたぼろに言い合っていたから、てっきりそういう別れ方をしたものだと思っていた。
「みんな他人の不幸が楽しいんだよ。ミホはそうなりたくない。」
「でも、どうしようも出来ないじゃない。我慢しなきゃ。」
「……。」
「…………あ。」
「どうしたの?」
「ごめん、ここまで。」
 そう言って私は、早々に自転車にまたがった。
「あ、そっか。ここでお別れだね。」
 気付けば私達は見慣れた細道の前まで来ていた。ミホはここで曲がって、住宅街へ。私はこのまままっすぐ郊外まで。だから昔から、一緒に帰る時はここでお別れということになっていた。
「ごめんね、変な話しちゃった。」
「……うん、大丈夫。これくらい聞いてあげるよ。」
「そっか、でも、綾子ちゃんあんまり楽しそうじゃなかったから。」
「笑顔で話してればよかった?」
「そうでも、ない、かな。」
「そうでしょう?」
「また一緒に帰ろうね!」
「うん。」
 これでやっと建前だらけの会話から解放される。私は清々しい表情で、ペダルに片足をのせたまま、少しだけ地面をけった。ミホとの距離が少しだけ広くなった。
「ねぇ、美穂。」
「なぁに? 綾子ちゃん。」
「お母さんには、あんまり心配させちゃだめだよ?」
 私はそう言い捨てて、ペダルをこぎだした。



次の日、ミホは学校に来なかった。

次の日も

次の日も学校に来なかった……


 ある日の昼休み、偶然女子たちの噂話をきいてしまった。
「ミホのやつ、転校したんだって。」



「アヤちゃん、食べた食器くらい自分で片付けなさいって言ったでしょ!」
 リビングで寝そべりながらテレビをみていると、台所からお母さんの声がした。いつも通りのフレーズに、迫力なんてあるわけがない。
「はぁーい。」
 私は適当に間延びした返事を返す。
 テレビの画面では、カラフルなスタジオの中で中年男が笑い合っている。『ハハハハハ』と電子化した笑い声が、定期的に、何度も何度も聞こえてきた。バラエティ番組は嫌いだけど、その音の波が心地よい時がある。今はそういう時らしい。どうやら画面の中ではやりの芸人がボケたらしく、さらに『ハハハ』と笑い声が続く。私はクスリと笑った。
「アヤちゃーん!」
 お母さんの声が大きくなった。そろそろいかないと怒られるかな? そう思って立ち上がる。
 台所に向かう途中、机に置いてあった数枚の食器を重ねて運んだ。食器を洗い場に置く。ガチャンと鳴った耳慣れた高音が、今日は何故か、とても気になった。
 バシャバシャと水を流し、皿を適当にスポンジで撫でてみる。私がやるより、お母さんがやった方がずっと早くて綺麗なのに。
 汚れの落ち方を伺いながら、しばらく無心で食器を洗っていた。一つ、一つ、食器を片づけていく。自分の分だけだから、それほど時間はかからない。
 最後に箸についた泡を水で流し、水の流れる蛇口をひねった。キュッと甲高い音。
「……。」
 ずっと辺りに満ちていた流水音が止まった。途端に部屋が静かになる。お母さんは知らないうちに出ていってしまっていた。一瞬無音になてしまったと思ったが、よく耳を澄ますと、つけっぱなしのテレビからよく聴くCMソングが流れてきた。
 私は濡れた箸をふき取り、流しの横にそっとおいた。
 すると、そこに積まれた皿の横に、真っ白なまな板があった。その上には、出しっぱなしの包丁。
 包丁。
 私は包丁を握った。
 ぎゅっと、力を少しだけ込めて包丁を握った。包丁の柄は、びっくりするほど綺麗に、手の平に収まった。刃をまな板の表面に添えたまま、すっと少しだけ持ち上げる。日頃慣れ親しんだ家庭用包丁。今日はいつも以上に、しっくりと自分に馴染んでいた。
 台所の照明をうけて、包丁の刃が閃いた。

 一思いに。

 妄想が始まった。
 この包丁を持った私が、自分の胸を突き刺した。
 この包丁を持った私が、後ろに立っていたお母さんの首に包丁を突きつけた。
 この包丁を持った私が、このまま家の外に走り出して、通行人を刺し殺す。
 私はボロボロ涙を流して泣きじゃくった。ぐしゃぐしゃになって謝った。ごめんなさい、ごめんなさい。こんなことするつもりじゃなかったの、ごめんなさい、ごめんなさい。
 胸に刺さった包丁。死後の世界はどんなところだろう。
 お母さんは、どんな顔をするかな。どんなことを言うかな。
 見知らぬ被害者は、私のことをどんな人だと思うかな。
 そんなことをしてしまった私は、一体何を思うだろうか。
 ごめんなさい?
 いいえ、すっきりしたでしょう?
 これであなたの日常はお終い。これからは、新しいステージ。

 脱獄宣言

 バカらしい。
 私は包丁から手を離した。
 でも、気付いたらまた握りなおしてみた。しかし、さっきまでのしっくりした感じはしなくなっていた。さらりと持ち上げて、刃をみつめてみた。銀色の横広の刃が、照明を受けて白く発光していた。よくみると、少し表面が汚れている。
 私は包丁をまな板の上に戻した。
 濡れたままだった手をタオルでふき取って、台所を後にする。リビングではつけっぱなしのテレビが、一人っきりで踊っていた。CMがあけて、またさっきの場面。ちょっと進んでる。興味もなかったので、そのまま電源をきってしまった。他に何かやっていないか見た方がよかったかな? と後悔してみたが、面倒だったからチャンネルも手放した。
 お母さんはまだ、リビングには帰ってこない。
 私はすることもなかったから、そのまま自分の部屋に向かった。



 電気のついていない部屋は暗かった。少し開いたカーテンの隙間から、街灯の光が少しだけ差し込んでいた。なんとなく部屋全体が青白い色をしているような気がした。
 小さなスタンドライトをカチャリと鳴らすと、ベッドの周りだけがパッとオレンジ色の光で明るく照らされた。私はその中に倒れ込んだ。
 充電したままの携帯電話。手に取って画面をみる。メールはきていない。
 ふと、ミホのことを思い出した。
 あの子は逃げたんだ。
 私は携帯をパチリと閉じた。部屋はとても静かだった。だから、もう一度携帯を開いた。
 メール画面を開き、宛先を添える前に本文を書き始める。
「さびしいn」
 指が止まる。
バカみたいだ。
電源ボタンを一つ押す。携帯は本文が削除されることを教えてくれた。構わないよ、と返事を返す。いつも通りの待ち受け画面。メールは送っていない。
パチンと音が鳴る。携帯電話を閉じた。
涙は出なかった。

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12.05.03:32

それでも今日は普通に過ごせる

ここはどこ、わたしはだれ

 目が覚めたら見知らぬ土地に立っていた。
 見たことのない風景。そんなものを見たのは何年ぶりだろう。
 活気豊かな港町だった。そこに偶然見知った顔が通り過ぎたから、「ここが何処か」と聞いてみた。
 知らない場所だった。
「外の世界」
 彼はこの景色をそう読んでいた。
 外の世界。その言葉は知っていた。それがどんな世界なのかも知っていた。しかし、彼の口から出た「外の世界」は、私の見知ったソレとは全くもって違っていた。否、ずれていたのだ。

 ここがねじれの外側であることは、目覚めてすぐにわかった。
 彼の言葉もそうなのだけど、一番は、気を失うより以前の記憶が、曖昧ながら、ここが外の世界であると示してくれていたからだろう。
 僕はあの時、あの瞬間。鎮魂の塔で大きな光に包まれた。奇怪な装いをした輝く記号の数々が脳裏に焼き付いている。(きっと罠でも踏まされたのだろう。)
 身体の傷は治っていて、どういうわけか服の破れも綺麗に元通り。あの不思議な光が修復していったのかもしれない。
 しかし何故? 考えても仕方がない。僕は何も知らないんだ。

 先程教えてもらった通りに、こちらにもあるという郵便局を尋ねてみた。
 何故か初対面の局員達は僕のことを知っているようで、あれやこれやと次々に話を繰り出される。適当に言葉を合わせていたら、もといた世界の局長と話せることになった。
 幾分時代の遅れた通信機を手にとって、しばらく、聞き慣れた局長の声が流れてきた。しかしその言葉の内容は、どれもこれもちんぷんかんぷん。
「研修はどうだ」「定期船は朝と昼の二回だ」「残りの期間も頑張りたまえ」
 断片を繋ぎ合わせてみると、どうやら僕は一ヶ月程前に船に乗って、もといた世界からこの世界の、この郵便局に、輸送経路の確保と異文化研修にやってきたらしい。
 一ヶ月前、そうだ、鎮魂の塔が現れた頃だ。

事実がすり替えられている。

 通信機を持つ手が、ぞわりと震えた。
 局長との会話を続けたまま、局内を見渡すと、確かに一緒に渡ってきたらしい同僚がチラチラ見知らぬ制服で仕事をしていた。
 通信を終えた後も、目はこの異妙な光景から離れることが出来なかった。
 呆然としたまま、途切れた通信音を耳にあて、会話を続けているふりをした。
 しばらくそうしていたつもりだった。その間はもしかすると数秒にも満たなかったのかもしれない。
 色々考えてみたことは、全部ろくでもない妄想ばかりだった。まるでガラクタ。
 自分の不要性に気付いた頃には机から立ち上がり、見知らぬ職場を後にしていた。

 日に二度やってくるという定期船。
 初めは少ないなぁと不思議に思ったけれど、この世界であの離れ小島が見つかったのはつい最近だと知ってからは納得した。
 僕がずっと暮らしていた離れ小島は、こちらでは想像も出来ない程発展した文明力をもっているらしい。
 なるほど、局長に言われた「研修」とは、彼らにあの世界の技術を伝えることだったのだ。
 通りでカバンの中に札がたんまり入っていたわけだ。おかげで楽に船に乗って、もといた世界に帰れる。

 鎮魂の塔にいる間、色々なことを考えたんだ。
 しなきゃいけないこと、言わなきゃいけないこと、たくさん見つけた。
 帰ったらまずは何をしよう。
 必ず帰ると約束することも出来なかったのに、そんな皮算用を何度も繰り返していた。
 きっと人恋しかったのだろう。
 母の声など聞いたから。友の声など聞いたから。
 恨みがましい形相で、鬼の哭く怒号で呪いをかけられた。どいつもこいつも同じ顔。
 死んでしまってせいぜいしたとは言わないけれど、彼らの言葉に傷一つ負わなかったの何故だろうか。
 僕はあの人達が好きだったのに、だから守ろうとしたのに、どうして「どうでもいい」等と思ってしまったのだろう。
 わかっている。わかっている。
 それが諦観。
 だから寂しい。物寂しい。人恋しい。
 諦めたものが手にはいらないから今、こんなにも大きな虚無感に包まれている。


「いつものことなのにね。」
 真っ青な海を見つめながら、僕は小さく呟いた。


 定期船で島に渡った帰り道、海岸で知り合いと一つ二つ会話する。
 自分の知らない間にすっかり雰囲気を変えてしまった友人に、違和感ではなく異物感を覚えた。あの人はこれでよかったのだろうか。
 そんなことを思いながらいつもの道を歩いてみる。
 しかしどうしてか居心地が悪い。何かがおかしい。
 不思議に思った所で理由が全く解らない。気持ちが悪い。
 杞憂に埋もれて息が出来なくなる。嫌な妄想が頭に広がる。そして気付かされる。
『僕もまたねじれている』
 あたかも当たり前であるかのように。
 あたかも正常であるかのように。
 螺子をねじってもモトには戻れない。
 螺子にもなれず、釘にもなれず、どこにも納まることなく地面に落ちる。
 転がることも出来ないとは重症だ。

 自宅に帰る。なんということはない普通の一軒家。
 ここは自分の家だ。
 自分のための空間だ。
 何故いつもと違う?
 外観から漂う雰囲気は無機質で、自分の家の形をしていなかったら通り過ぎていたことだろう。
 ドアノブに手を掛けるとしっかり施錠されていた。誰かが中に入った気配はない。鍵穴は僕の心境とは裏腹に軽快で、カチャリと小さな音をたてて主人を歓迎する。
 いつもは真っ暗な廊下が薄暗い。
 真っ黒だったはずの壁が灰色だった。それはつまり白。
 リビング。いつもは使わない灯りをつける。
 何かがおかしい。
 絶対におかしい。
 何がおかしい?
 全てか?世界か?私か?
 悩んでも迷っても答えは出てこない。
 考える気がないのかもしれない。
 ふらりと壁に倒れこむ。視界が傾く。すると目の前に小さな紙の束があることに気付いた。

『死亡者名一覧』

 いつもかかさず書き込んでいた自分用のメモだ。レプリカのページを何枚か破ってまとめただけの、簡素なメモ用紙。
 何故そんなものに目が止まったのだろう。今日はまだ誰の死も受け入れていない。
 姿勢を直し、ぱっといつもどおりの仕草でページを開く。
 何も変わっていない。何故こんなものを見た?
 何も変わっていない?
 何も変わっていないのに何故、変だと思った?
まるで変わっているのが当たり前かのように。
 ページをめくる。ゆっくりめくる。何度も何度も行ったり来たり。めくってめくって。上から下までぎっしりと連なる誰かの名前を、眼と心とで復唱する。

 誰か?

 誰?


 この人達は誰だ?


 ハッとして部屋の中をもう一度見渡す。
 ない。
 何処にもない。
 当たり前のようにあったものが根こそぎなくなっていた。
 足の踏み場もない程敷き詰められていたものが一つもない。どこにも転がっていない。
 這いつくばって机の下を覗き込んでも、やっぱりない。
 机くらいしか家具がない部屋なのに、どうしてそれ以外に何もないことに気付かない? 馬鹿か?
 傾れ込むようにあらゆる場所を漁りだす。
 寝室、廊下、台所、浴室、クローゼット、ゴミ箱……
 どこを必死で探しても、目当てのものが出てこない。
『遺影』
 今までに死に別れた全ての隣人達
  どうして、どうして、どうして、
   どうして顔も思い出せない!?
 愕然と床に伏し頭を掻き毟る。
 真っ白だ。真っ黒だ。視界が点滅する。
 何も思い出せなかった。この小さなメモ用紙に記された人の顔を、声を、出会いを、思い出を、最後の言葉、流した涙、追悼、感謝、何もかも、何もかも。

 貴方の死と伴に歩んできた私の道が、知らぬ間になくなっていた。
 影も、形も。






また置いていかれた

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