01.08.14:47
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07.24.17:08
アイスクリームの話
ギラギラと太陽が輝く、とある真昼の空の下。暑さにうんざりし、もたもたと石敷きの歩道を歩いていると、対岸の建物の並びに、水色の清々しいノボリが出ているのに気付いた。そこには異国の文字で、「アイスクリーム」と書いてあった。ぼんやりと霞んでいた意識が途端にクリアになり、少しだけ気分が高調した。
「エルグ! アイスだってさ!」
同行していた友人の肩をひき、そのノボリを指差してみると、彼は「そうか、よかったな。」とそっけない返事を返した。いつものことだが、そう釣れない態度を取られてはやりづらいものがある。
基礎体温がありえない程低いエルグは、この真夏日が続く中、俺とは比べても仕方がないぐらいに体力を削られている。今日だって本当は宿で休んでいればよかったところを、どういうわけかついてきたのだ。エルグの服には保冷性があるから、ある程度は大丈夫だろうけれど、足取りはそれほど芳しくない。何も考えずに歩いていたつもりだったが、俺は無意識下で何処かに休める場所がないか探していたらしい。全く過保護なものだ。
自分では興味を示してくれなかったエルグの腕を引き、通りの少ない車道を横断する。
店は少々古風な佇まいをしていた。店内を覗いてみると、ほのぐらい古いフローリングと木のカウンターや椅子が無造作に並んでいる。どうやら子供向けにお菓子を売る店の様で、小さな棚も幾つか並び、その上に色とりどりの包装をされたお菓子が詰むように置かれている。カウンターには人はいないようで、その奥に隣の部屋に続く扉が開いたままになっている。
「やってるのか?」
エルグが店内の様子を窺いながら、自分と同じ疑問をする。
「入ってみれば解るもんだ。」
気楽に言葉を返し、扉をあける。カラカラとチャイムのベルがなり、その音をきいてバタバタと人が出てきた。中年のご婦人で、俺達の方をみると、「いらっしゃい」とにっこり笑った。こちらも笑顔で軽い挨拶をする。
「ほら、やってるじゃん。」
店の外に立っていたままのエルグに小声をかけると、彼はそんなもんかと言いたげな顔で扉をくぐった。
カウンターの脇にお目当てのクーラーボックスを発見すると、自然に足がそちらの方に寄っていく。銀色の長方形をしたケースの中に、それぞれ一種類ごとにアイスクリームが詰め込まれている。色とりどりのアイスクリームの並びの中、ところどころにその名称が添えてある。思った以上に種類は豊富で、俺はその中に祖国特有の懐かしい味をみつけた。それを一つと注文する。
隣りをみると、エルグはガラス越しのアイスクリームをじっとみつめていた。少し困っているようにみえたが、彼には珍しく迷っているのだと思って、微笑ましい気持ちで見守ってやった。
「これを頼む。」
エルグが前触れもなく口を開き、薄い黄色をしたアイスクリームを指差した。
注文を終えてお金を払うと、しばらくして店員がコーンにのったアイスクリームを二つ差し出した。薄い黄色と爽やかな水色の組み合わせは、みているだけで涼しくなる。
店員は「ごゆっくりどうぞ」と一言告げると、また奥の扉へもぐっていった。こういう店もあるんだなぁと関心する。扇風機がカラカラと回る音が、静かな店内に転がっている。その傍らに座敷のような空間があり、俺達はそこでアイスクリームを食べることにした。
一口と、試すような気分で口にしてみると、スッと喉を冷やす心地よい味が広がった。少し鼻にくる特徴的な味わいは、涼しさを感じるにはうってつけなのだ。何年も前に祖国で慣れ親しんだ味とほとんど変わらず、柄にもなく懐かしくおもってしまう。
エルグの方は、不思議そうにアイスの外見を眺めながら、時々思い出したようにぺろぺろと口にする。何も初めて口にしたわけではないだろうに、どういうわけだかその動きがぎこちない。何か気にかかることでもあったのだろうか。
「美味しいか?」
単純に、当たり障りのない言葉選びで疑問を投げかけた。エルグは返事をせず、だまったままアイスクリームを食べ続ける。そんな様子を不自然に感じたが、彼の食べる調子が早くなったので、気に入ったのだろうと勝手に解釈することにした。
扇風機の音が再び耳に大きく聞こえ、虫の鳴く音がせわしなく壁を叩く。強めの扇風機から届く軽快な風が前髪を揺らす。異国の情緒というものを、その小さな景色に感じながら、俺は静かにアイスクリームを食べ続けた。
「解らない。」
突然、エルグがぽつりとつぶやいた。突然すぎてなんのことだかわからなかった。エルグはじっと、淡い黄色のシャーベットアイスをみつめたままだ。
「昔、同じものを食べたことがあるんだ。これと同じ、果物味のシャーベットだった。甘酸っぱい味わいと、さらさらとした舌触りが、子供心にとても気に入ったのを覚えている。」
ぺろりともう一度、解けかけのアイスに舌を滑らす。確かめるように、吟味するように、口の中でその味を広げながら、やがてそれは音もなく喉を通りぬける。後に残るのは冷たい感覚だけ。
「好きだったんだ。」
いつも通りの無表情を、一片も歪めずに、エルグはそんなことを言ってしまった。
ぞくりと怪談でも聞いたような寒気が走り、アイスなんて目じゃない程の涼しさを感じた。嫌な予感がした。悪寒だ。それは一瞬で通りすぎたが、背筋の、死体の頬でも撫でたような冷たさは残ったままだ。
「――……。」
思わず名前を呼ぼうとしたが、言葉がみつからなかった。
心の中で誰かが嗤い声をあげた。「馬鹿じゃねぇの」「だから言ったんだ」「期待してたのか?」
そんな言葉を振り払い、聞こえない振りに徹してしまう。自分はやっぱり馬鹿なんだと実感する。
無感情という言葉にどれほどの意味があるのか、知ってしまったあの日から。
「味がしないわけじゃない。これは、確かにお前が訪ねた通りに美味しい。でも、魅力を感じない。あの時の感覚が、帰ってこない。」
「……そんな寂しいこというなよ!」
やっと声が出たと思ったら、むきになって声が大きくなってしまった。自分でも驚いて、何故か店員が顔を見せないか心配になり、きょろりと一瞥した。
「ライディ……。」
声をかけられ、もう一度エルグの方をみる。何してんだとばかりの冷たい瞳が、いつものそれに戻っていて、拍子抜けする。さっきまでの嫌な空気が、いつのまにかどこかへすっとんでしまっていた。
そして気付く、錯覚だったんだと。
「ほら、アレだろ。エルグって味音痴じゃないか。そんなこと今更なんじゃないか?」
「……あぁ、なるほど。それもそうだな。」
エルグは妙に納得したように頷いた。「怒ってもいいんだぞ」と脳内で言ってみるが、そんなことをエルグ相手にいうのも酷な話だ。
「ところで、そっちはなんなんだ?」
エルグが急にこちらのアイスクリームに視線をやった。どうやら味の話から、思い出したように気になり始めたらしい。アイスクリームの名前を教えようとしたが、そこでハッした。
浮かんだアイディアに心の中で「よしっ」と意気込み、こっちを凝視するエルグの方へアイスを向ける。
「食べてみろよ。」
「は?」
怪訝そうな顔をされて少し傷ついたが、エルグはあっさりとそれを受け取ると、「ありがとう」と一言いってから、もぐりと噛みついた。
コーンのバキッと折れる軽快な音。なにもコーンの最初の一口を選ぶことないじゃないかと思ったが、これもまぁエルグ相手じゃ仕方がないからスルーする。
「?」
エルグの瞳が少し大きくなり、彼が驚いていることに気付く。
「どうだ? スーッとして、涼しくなるだろ?」
「あぁ、不思議な感じだ。これはいいな。」
「お、ちゃんとわかるじゃんオマエ! ハーブのアイスでさ、ウエスタンでもよくみかけるやつなんだ。」
どうやら気に入ってもらえたようで、俺は妙なほど嬉しさを感じていた。
「そっちのも貸してくれよ。いや、もういっそ交換するか?」
「いいのか?」
「いいって、俺もそっちの味が気になってたしさ。」
そういってエルグの手から、黄色のアイスを受け取った。
まじまじとみつめてみると、やっぱり奇麗な色をしている。爽やかさと涼しさを感じる、しかし鮮やかな色彩は、シャーベットだからだろうか。それを一口してみると、柑橘系のみずみずしい味わいが、ひやっとした食感と共に口の中に広がった。
美味しい。
それは、エルグが子供のころに感じた想いと同じだろうか。お互いの思い出が共有できたような気がして、なんだかとても嬉しい。
結局そのまま、お互いにコーンを返すこともなく食べ続けた。だんまりなのは最初の時と同じなのに、さっきよりもその時間と空間が楽しく感じだ。
ほとんど二人同時に食べ終わると、コーンについていた髪をくしゃりと丸め、すぐそこにあった屑かごに投げ込んだ。
座敷を立ち、店を出ようとすると、いつのまにかさっきの婦人がカウンターに立っていて、「ありがとうございました」と声をかける。
「こちらこそ。」
そういい返して扉をくぐると、やはり外は炎天下。
「倒れるなよ。」と念を入れると、エルグは「しばらくは大丈夫だろう。」と、わけのわからない返事をする。曖昧な判断にやや心配になったが、まぁ本人がそういうのならしばらくは大丈夫なのだろうと思い込むことにした。
再び元の歩道に帰ってくると、真上にあった太陽が、ほんの少しだけ位置を変えて空に浮かんでいた。
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