01.07.10:41
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12.05.05:58
水曜日の酒宴
水曜日の酒宴
「中に入る前に、すべての扉に気を配っておけ。振り返って注意しておけ。敵が中のどの席に座っているか知れないから。」
百戦錬磨の宴会マニアを豪語する我が偉大なる父は、会場に出向く僕に色々なことを教えてくれた。いざ入室しようとした矢先、その碌でもない父の箴言が否応なく頭に浮かんできたのだ。思わずキョロキョロと周囲を見回してしまった僕は、襖の数を一つ二つと数えてしまった。
「宴会にやって来る人には、水とナプキンと招待が必要だ。できれば、奥ゆかしい、と評判を得て、ふたたび歓迎されるように。」
宴会が始まりしばらく経つと、なるほど確かにその通りだと思うようになった。むやみやたら他人に絡むもの、おだて文句に必死なもの、接待に骨をすり潰すもの、そんな混沌とした光景の中、恭しく会話に相槌を入れ、上品に笑いかける彼女の姿は実に心地よい。
「遠くへ旅する人には知恵がいる。家ではなにも苦労がいらぬ。愚者が賢者と席を同じくすれば、物笑いの種になる。」
賢者とはこれ程までに尊い存在であったか。インドアで引きこもりの僕が、あの高見に行きつくには、あとどれくらい宴会に通えばよいのだろう。
「注意深い客は、食事に呼ばれたら沈黙を守る。人の話に耳を傾け、眼であたりに気を配る。このように、賢明に人は誰でも、あたりに注意を払う。」
僕はどうやら注意深い客ではなかったらしい。じっと目前の賢人を眺めていたら、ニヤニヤ笑いすました先輩に肩を叩かれた。
「大層な贈り物を人にしなくとも良い。ささやかなもので良い評判を得ることも多い。パン半塊と酒杯半分で、私は友を得たことがある。」
そう言って先輩は僕の前に巨大なジョッキを差し出した。
「人の称賛と好意を得るものは幸せだ。」
「他人の心の中に見つける知恵は頼りにならぬ。」
飛び出したるは盛大なる歓声。僕は重たいジョッキを片手に固唾を飲んだ。
「もって出かけるのに、すぐれた分別にまさる荷物はない。麦酒の飲みすぎより悪い糧食を選ぶな。」
「がんばってー!」
賢人は笑顔で僕に期待の眼差しを送る。
「人の子にとって麦酒は、そう言われるほど良いものではない。たくさん飲めば、それだけ性根を失うものだから。」
それからのことは、あまり覚えていない。でろでろに我を失って帰宅した惨めな僕に、玄関口で仁王立ちしていた父がよこした箴言が、今でもなかなか忘れられなかった。
「宴会場を飛び回るのは、忘却の青鷺といって、人の心の分別を盗むものだ。わしも母さんの家で、この鳥の翼にがんじがらめにされたことがある。」
そうやって生まれたのが僕なんだとか。
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