01.07.10:31
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10.12.07:42
ミディアムレアは春と共に
離れ離れは約四年。
ミディアムレアは春と共に
春の夢を見る。
淡い桃の春景色。雪解け水の冷たい香りと朝の霜。しっとりとした甘い空気に穏やかな陽光が射し、柔らかな風が芽吹いたばかりの若草を揺らす。野花を摘んだ小鳥の羽ばたき、そのさえずり。小さな動物たちの足音も。
光届かぬ分厚い雲は消え去った。色の無い景色は、凍えるような寒さは。そよぐ春風に背を押され、冬の終わりを告げられる。それはいつまでも続くと思っていたのに。
生い茂る緑の先、陽光の下に誰かが立っている。
こちらに向かって両手を広げ、「おいで」と優しく呼び掛けられる。誘われるがままにその胸に飛び込むと、驚くほど優しく抱きしめられた。
その身に宿る春のぬくもりが抱擁と共に肌に届く。冷えきった体を癒すように、黄金色をした美しい熱が胸の中に染み込んでいく。ふわりふわりとした夢見心地な暖かさ。奥の奥にある心まで包み込んでくれるような、火傷するほど熱いぬくもり。
冬の終わりを告げるもの。
この人こそが春の化身なのだろう。
春の夢は彼と共に。
一人には広すぎるベッドの上で私は何の夢を見る。あの贅沢な春の夢をもう一度。しかし手を伸ばしても彼はいない。
灯りを消した真夜中の寝室。自分だけの一人部屋。冷たい羽根布団の中で仰向けに寝転び、意味もなく天井を見上げる。
目を閉じると悪夢が落ちてくる。悪意を帯びて向けられる刃が、真っ暗な瞼の裏で何度も閃く。殺し殺され憎み憎まれ。どろどろとした血溜まりの沼に沈んでいく、その足の下から聞こえる地獄の足音。
首を締められるような苦しさを感じて目を開ける。そっと首に手を伸ばすと、指先が金属の首輪に触れる。軽いのか、重いのか。ずっとつけていると忘れてしまう、満たされていると忘れていられる、孤独を象った拘束具。
嫌なことばかり思い出す。あれもこれもと数珠繋ぎに浮かび上がる黒い気泡。頭の中をふわふわと飛び、音もなく弾ける。不安を煽っている。
独りの夜がこんなに恐いだなんて久しぶりに思い出した。この寒々しい夜の果てに、世界の全てが自分の敵になる未来が待っている気がした。何より自分が望んでしまう。嫌われることを、拒まれることを、望んでしまう。病的な自虐。
冬が来るにはまだ早すぎる。たとえ春が終わってしまっても、熱は心の中にこもっている。熱い、熱い、恋慕の炎。チリチリと、チリチリと。
心地よいぬくもりですら毒となることを知っていたか。羊水のように暖かな春の中に沈み込んでいれば、熱を知らない私の体は静かに静かに焦げていく。
穏やかな、愛しき火傷跡。
彼に触れられた肌が痛む。もっともっと、傍にいてよ。夜も独りで眠れない愚かな私を慰めて。
いくら願っても彼は来てくれない。遠い遠い地平線の向こうで眠っている。これから何度「会いたい」と呟くだろうか。
「おはよう、エルグ」
届いた声が朝を伝える。瞼の裏が白く瞬き、ふわりと夢の中に浮かんでいた体が重力を思い出してベッドに沈む。ぼんやりとした意識は起きることを拒んだが、夢に見た春のぬくもりがすぐそこに灯っていることに気付いて目を開ける。
「起きた?」
彼が優しく微笑んでいた。
「支度の時間だからそろそろ離してくれないか?」
少し困ったように言われ、やっと夜通し彼に抱きついて眠っていたことを思い出す。一緒に寝たいとねだったのは、もちろん自分の方だ。
腰にしっかりと回していた手を放すと、密着していた体に隙間が出来る。伝わっていた熱が途切れ、体が本来の温度を取り戻していく。
「Thank you」
彼はお礼を言ってから起き上がり、ベッドを出ていく。彼の抜けた隣から朝の冷たい空気がじわりと滲みる。毎日のことなのに、彼の温度が途切れる寂しさに体は全く慣れてくれない。
自分も起き上がって彼の行方を目で追う。寝間着がわりのシャツを脱ぎ、今日着る服を探してクローゼットを漁っている。
「今日は火傷しなかったか?」
突然振り向いた彼に話しかけられ、体が反応するように小さく震えた。それから自分の手の平に目をやる。シャツの袖をまくり、腕の色を確かめる。
「……少し赤いな」
「痛みは?」
「無い」
「そっか。今日は軽くて良かったな」
「あぁ」
自分が人と違うこと。例えばこれも一つ。他人の肌で火傷するなんて、難儀な体質。人と違う体温を持って生まれたが故に、人より高い体感温度の中で生きるハメになってしまった。
その差はおよそ10度。
低温火傷が発症するのは44度から。ともすれば10度下の自分は人肌でも火傷をする。まるで人の温もりを感じることを咎められているようだ。
彼はそんな体質を按じて添い寝を拒むが、いつも結局折れて一緒に寝てくれる。朝が来るまで傍にいてくれるし、熱を通しにくい生地の服を着てくれるようにもなった。
人の温もりを感じていたい。そう最初に言った時、彼は少し悲しそうな顔をしていた。同情していたのだろう。今はどうだろう。
初めて一緒に狭いベッドの上を転がった時に感じた、救いにも似た暖かさ。彼がいれば自分は幸せになれるんだと妄信してしまえる程の信頼と安心。
彼と眠れば春の夢を見る。
そう気付いてしまえばもう戻れない、手放せない。たとえこの身を焦がしてでも一緒にいたいという我が儘を、彼は何度でも受け入れる。
昨日も、きっと今日も。
甘えん坊だな、なんて笑いながら抱きしめ返す。
「ライディ」
声をかけるとまた彼が振り向く。
「おはよう」
「あぁ、おはようエルグ!」
穏やかな声色。無邪気に笑うことに慣れていない不器用なはにかみ笑い。愛しさが込み上げる。俺だけの春の化身。
.
ミディアムレアは春と共に
春の夢を見る。
淡い桃の春景色。雪解け水の冷たい香りと朝の霜。しっとりとした甘い空気に穏やかな陽光が射し、柔らかな風が芽吹いたばかりの若草を揺らす。野花を摘んだ小鳥の羽ばたき、そのさえずり。小さな動物たちの足音も。
光届かぬ分厚い雲は消え去った。色の無い景色は、凍えるような寒さは。そよぐ春風に背を押され、冬の終わりを告げられる。それはいつまでも続くと思っていたのに。
生い茂る緑の先、陽光の下に誰かが立っている。
こちらに向かって両手を広げ、「おいで」と優しく呼び掛けられる。誘われるがままにその胸に飛び込むと、驚くほど優しく抱きしめられた。
その身に宿る春のぬくもりが抱擁と共に肌に届く。冷えきった体を癒すように、黄金色をした美しい熱が胸の中に染み込んでいく。ふわりふわりとした夢見心地な暖かさ。奥の奥にある心まで包み込んでくれるような、火傷するほど熱いぬくもり。
冬の終わりを告げるもの。
この人こそが春の化身なのだろう。
春の夢は彼と共に。
一人には広すぎるベッドの上で私は何の夢を見る。あの贅沢な春の夢をもう一度。しかし手を伸ばしても彼はいない。
灯りを消した真夜中の寝室。自分だけの一人部屋。冷たい羽根布団の中で仰向けに寝転び、意味もなく天井を見上げる。
目を閉じると悪夢が落ちてくる。悪意を帯びて向けられる刃が、真っ暗な瞼の裏で何度も閃く。殺し殺され憎み憎まれ。どろどろとした血溜まりの沼に沈んでいく、その足の下から聞こえる地獄の足音。
首を締められるような苦しさを感じて目を開ける。そっと首に手を伸ばすと、指先が金属の首輪に触れる。軽いのか、重いのか。ずっとつけていると忘れてしまう、満たされていると忘れていられる、孤独を象った拘束具。
嫌なことばかり思い出す。あれもこれもと数珠繋ぎに浮かび上がる黒い気泡。頭の中をふわふわと飛び、音もなく弾ける。不安を煽っている。
独りの夜がこんなに恐いだなんて久しぶりに思い出した。この寒々しい夜の果てに、世界の全てが自分の敵になる未来が待っている気がした。何より自分が望んでしまう。嫌われることを、拒まれることを、望んでしまう。病的な自虐。
冬が来るにはまだ早すぎる。たとえ春が終わってしまっても、熱は心の中にこもっている。熱い、熱い、恋慕の炎。チリチリと、チリチリと。
心地よいぬくもりですら毒となることを知っていたか。羊水のように暖かな春の中に沈み込んでいれば、熱を知らない私の体は静かに静かに焦げていく。
穏やかな、愛しき火傷跡。
彼に触れられた肌が痛む。もっともっと、傍にいてよ。夜も独りで眠れない愚かな私を慰めて。
いくら願っても彼は来てくれない。遠い遠い地平線の向こうで眠っている。これから何度「会いたい」と呟くだろうか。
「おはよう、エルグ」
届いた声が朝を伝える。瞼の裏が白く瞬き、ふわりと夢の中に浮かんでいた体が重力を思い出してベッドに沈む。ぼんやりとした意識は起きることを拒んだが、夢に見た春のぬくもりがすぐそこに灯っていることに気付いて目を開ける。
「起きた?」
彼が優しく微笑んでいた。
「支度の時間だからそろそろ離してくれないか?」
少し困ったように言われ、やっと夜通し彼に抱きついて眠っていたことを思い出す。一緒に寝たいとねだったのは、もちろん自分の方だ。
腰にしっかりと回していた手を放すと、密着していた体に隙間が出来る。伝わっていた熱が途切れ、体が本来の温度を取り戻していく。
「Thank you」
彼はお礼を言ってから起き上がり、ベッドを出ていく。彼の抜けた隣から朝の冷たい空気がじわりと滲みる。毎日のことなのに、彼の温度が途切れる寂しさに体は全く慣れてくれない。
自分も起き上がって彼の行方を目で追う。寝間着がわりのシャツを脱ぎ、今日着る服を探してクローゼットを漁っている。
「今日は火傷しなかったか?」
突然振り向いた彼に話しかけられ、体が反応するように小さく震えた。それから自分の手の平に目をやる。シャツの袖をまくり、腕の色を確かめる。
「……少し赤いな」
「痛みは?」
「無い」
「そっか。今日は軽くて良かったな」
「あぁ」
自分が人と違うこと。例えばこれも一つ。他人の肌で火傷するなんて、難儀な体質。人と違う体温を持って生まれたが故に、人より高い体感温度の中で生きるハメになってしまった。
その差はおよそ10度。
低温火傷が発症するのは44度から。ともすれば10度下の自分は人肌でも火傷をする。まるで人の温もりを感じることを咎められているようだ。
彼はそんな体質を按じて添い寝を拒むが、いつも結局折れて一緒に寝てくれる。朝が来るまで傍にいてくれるし、熱を通しにくい生地の服を着てくれるようにもなった。
人の温もりを感じていたい。そう最初に言った時、彼は少し悲しそうな顔をしていた。同情していたのだろう。今はどうだろう。
初めて一緒に狭いベッドの上を転がった時に感じた、救いにも似た暖かさ。彼がいれば自分は幸せになれるんだと妄信してしまえる程の信頼と安心。
彼と眠れば春の夢を見る。
そう気付いてしまえばもう戻れない、手放せない。たとえこの身を焦がしてでも一緒にいたいという我が儘を、彼は何度でも受け入れる。
昨日も、きっと今日も。
甘えん坊だな、なんて笑いながら抱きしめ返す。
「ライディ」
声をかけるとまた彼が振り向く。
「おはよう」
「あぁ、おはようエルグ!」
穏やかな声色。無邪気に笑うことに慣れていない不器用なはにかみ笑い。愛しさが込み上げる。俺だけの春の化身。
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